テレビテニス
1969年生まれの私が最初にテレビゲームというのを意識した最初は、1975年に発売されたエポック社の「テレビテニス」だと思う。近所、といっても田舎に住んでいたので歩いて20分~30分位かかるところにただ一軒、それがある家があり、そこまで何度か友達と見に行ったのを覚えている。
その頃はかなり珍しい物だったし、高価でもあったから、おそらく親が買ってきたのだと思うし、まるで誇るかのように外から見える位置に置いてあった。居間の大きな窓を開け、わざわざ窓の近くにテレビとゲームを置いて、そこの子供が遊んでおり、それをいつも見ていたのだ。
そこの兄弟の弟のほうが私の同級生なのは知っており、後には友達になるのだが、その時は名前を知っている程度だし、自分もまだ小学1年とか2年だったので、触ってみたかったがそれが言えず、遠くから見ているだけだった。
当時、その動きや画面は衝撃的であったが、結局私はすることができなかった。その後、アーケードでは1978年に発売されたインベーダーゲーム(タイトーの商標登録名は、スペースインベーダー)、家庭用としては1980年のゲーム&ウオッチのファイアが、私が触ったゲームの始まりだ。
その後、外ではハイパーオリンピックとか1942、家ではドラクエとかメガテンなど、あらゆるゲームを遊んできたが、衝撃的だったゲームがいくつかあった。今回は家庭用ゲームで私が衝撃を受けたものを3つセレクトしてみよう。
知る人ぞ知る名ソフト「きね子」
まずは知る人ぞ知る名ソフトの「きね子」。元は1986年にMSX2用に発売された「キネティックコネクション」というゲームで、私がやったのは同年に発売されたファミコンディスクシステム用ソフトの「きね子」である。
確か、(田舎に住んでいたので)バスで30分くらいかけて行った街のゲーム屋で、書き換えしてもらったはず。こういう、ジジイがやっている小さなゲーム屋って、ホントに壊滅してしまったなぁ。私は恥ずかしいのとジジイが怖いのとでなかなか言えず、だいぶウロウロしてから「書き換えしてください。」と言ったのを覚えている。自分にもそんな純真な頃があったんだなぁ。
と思って調べてながら書いていると、初代「きね子」は書き換え無しの販売専用ソフトだったらしく、書き換え可能となったのは翌年に発売された「きね子2」らしい。こういう事がすぐ分かるようになったのも、時代だなぁ。ちなみに、2はパズルの絵柄が変わっただけで、内容は初代と同じらしい。
さて、その「きね子」だが、内容はというと、ジグソーパズルなのだ。ただ、その絵柄がアニメになって動いている。そこが売りでもあり、それがハマるところでもある、このソフトのキモなのだ。
絵柄は10枚とすこしボリュームが少ないが、ピースが16,24,48の3種類あり、ピースの違いで難易度がグッと変わり、結構楽しめる。絵柄はヨットが流れていくような簡単なものから、最後は雪がちらついているだけのような鬼畜的なものもあり、やりごたえも抜群だった。
これは、ハマる人はかなりハマるが、ダメな人はすぐにヤメてしまう。そんな人を選ぶゲームだが、私はもともとパズルが好きなので、衝撃的でもあり、当時かなりハマったのを覚えている。感覚的には、ハリーポッターに出てくる絵が動くカードのような「未来のパズル」がやってきたという感じだった。
クインティ
次は「クインティ」というゲーム。今をときめく「ポケモン」を製作するゲームクリエイター集団「ゲームフリーク」の処女作である。私たちを熱狂させたファミコン版「ゼビウス」、「マッピー」を輩出したナムコットシリーズの第60弾である。
元来のナムコ好きの私なので、これは単にナムコットの作品ということであまり期待せずに買ったのだが、まずは帰りの電車でソフトの説明書を見て急激に期待値が上がり、家に帰ってやったところが久ぶりに「新しいゲーム」に触れたという衝撃を受けた。
「パネルをめくる」という有りそうで無かったアクション。そして動きは単純だが戦略は奥深く、こんな敵の倒し方もあるのかとか、こう動けばセーフだとか、色んな発見もあり、とにかく面白かった。リブルラブルとかパックランドを始めて見た時のような「何これ?どうなんの?」みたいなドキドキがある衝撃の作品だった。
ダービースタリオン
最後は衝撃というか、ただただ面白く、ただただ長く遊んだ(ほんとに、1日中というか徹夜でやってた。)ゲーム。もう、死ぬまでにこれ以上ハマるゲームは多分ない。それは「ダービースタリオン」である。
1991年の初代、そして翌年に発売された全国版。特にこの「全国版」はアホみたいにやった。もう、こればっかりやっていた。1992年というから、私は23歳ちなみにその1992年のダービー馬は、坂路の申し子、ミホノブルボンである。
このミホノブルボンは、父マグニテュードはまだしも、母の父シャレーという、見たことも聞いたこともない種牡馬から生まれた突然変異で、皐月賞はまだギリ大丈夫でも、ダービーに勝ち菊花賞2着というのはやはり信じられない。
元から競馬好きでゲーム好き、それに競馬熱も最強の頃だった私は、この数年間はダビスタのBGMが風呂でも便所でも頭に流れていた。シンプルイズベストじゃないが、今思うと少し物足りない感じもするが、それが良かったのだろう。
ただ、年々残念になっていったのが少し寂しい。数年後は私もウイニングポストに鞍替えしていた。今は歳もいってゲームをすることも無くなったが、この頃は贅沢な時間の使い方をしていたのが、我ながら羨ましい。もう、あんなにゲームにハマることは無いだろう。

