横山秀夫にハマる
昔、「半落ち」を読んでそれほどハマらずしばらく離れていた横山秀夫だが、その後数年を経て最近読んだ「第三の時効」があまりに面白く、最近は横山秀夫ばかり読んでいる。そういえばこの「64(ロクヨン)」を読む前に「クライマーズ・ハイ」も読んだ。
この「クライマーズ・ハイ」は横山秀夫の主戦場である刑事ものではなく新聞記者ものだが、本人が元新聞記者だったこともあってか、描写がリアルでこれも面白かった。しかし、やはり真価を発揮するのは刑事ものだろう。少なくとも私は横山秀夫の作品では刑事ものが一番好きだ。
(以下、「ネタバレ」含みます。注意。)
面白かった「64」
そして、満を持しての「64(ロクヨン)」である。昨日読了したが、いやあ面白かった。ただ、私のピークは全頁中の4分の3あたりのところだった。この話は、大きく分けて警察広報と刑事部の争い、公報と記者との争い、失踪した娘の問題、そして64事件の解決、あたりがテーマだと思う。
そのうち、公報と記者の争いについて、この4分の3あたりでのピーク時に一定の解決があり、ここで私は感極まって涙した。こういう小説や映画での受け止め方や感じ方は、その時の自分の置かれた状況などに左右されるところ、ちょうど今の私の琴線に触れるものだったのだろう。
あとは失踪した娘問題が未解決、64事件は半分解決といったところ。警察広報と刑事部の争いは、所詮解決できるものではないだろう。個人的には娘には出てきてほしかったし、64事件の犯人にも「私がやりました。」と言って(言わせて)ほしかった。
作品は作者のもの
ただ、これは自分の希望するラストというだけであって、作品の良し悪しには関係ない。ただ、自分だけではなく、多数の読者が「こうあるべき、こうあってほしい。」というものに、私が感じたものは近いとは思う。だって、みんなハッピーエンドが好きでしょ。
たまに作者の思いが強く、特に漫画などでは「ありえない、あってほしくない」ラストというのがある。そういう作品に出合った時、私が思うのは「編集者」などから何か一言無かったのかな?ということ。漫画でも映画でも小説でもそうだと思うのだが、作者や脚本家が望むラストに対して「それはどうかと…」と突っ込む人はいないのかと。
作品は作者のものであるのが基本ではあると思うのだが、あくまで読者あっての作品であり、お金を出して買ってもらっていることで成立していることは忘れてほしくない。特に読み手の思い入れのある登場人物やエピソードは、もう作者の手を離れていて読者が望む姿となるべきなところもある。
それを感じ取って作者に伝えるのが編集の仕事であり、これは「売れる」ためにも必要である。いや「売れる」ために書いた作品など要らないという作家もいるかもしれないが、売っている以上、それを言うのはダメだと思う。それに傑作と言われるものは、全てこの作者の思いと読者の思いのバランスが優れている作品だから。
評価と採点
ただ、それを鑑みても「64(ロクヨン)」は面白かった。でも、娘と再会して、犯人が自白して罰を受けていたら…100点だったかも。あと、細かい点だが、所在不明の娘からかかってきたと思っていた無言電話が、64(ロクヨン)の被害者が犯人を捜すため片っ端からかけていた電話だったという線での繋がりは「なるほど、そうだったのか。」
と思ったのが半分と「そんな奴おらんやろ」と思うのが半分で、ちょっと共感できなかった。それを言うと、誘拐でも狂言誘拐でも無い、犯人をあぶりだすための誘拐(厳密には誘拐でないが。)という点も、ちょっと世間離れしているというか、有り得ない感があるのが…
とはいえ、小説だから。だって実際にあった話、ありそうな日常だけを小説にされても面白くない。ただ、このような刑事もののように警察組織の現実をリアルに書いている、そんな小説の場合は現実感が強いためそこにちょっと「有り得なさそう」な話が加わると少し違和感がある。そこが難しい。
「半落ち」で論争となった「現実にはあり得ない」というひっかかりも根っこは同じで、「そもそも小説ですから」とはいえ一定のリアル感や実効性がなくてはいけない。sそれで共感できない読者もたくさんいるのだ。。本当に小説って難しい。最後に採点すると…91点。


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