PR

懐かしきゲーセンの思い出(1987年ころの話)

ゲーム

お気楽な時代

1987年、昭和でいうとその末期となる昭和62年ころの話である。私は高校2年、将来のことなど微塵も考えず、毎日麻雀とゲーセンに明け暮れた幸せな日々だった。学生の本分である勉強も全くせず、部室で麻雀して帰りにゲーセン、家に帰ってもファミコン、何の不安も責任もなくお気楽に過ごしていた。

悩みといえば「金が無い」ことくらいだった。バイトはしていなかったので、月の小遣いとお年玉を切り崩しての生活。ただ、家に帰れば飯も食えるし、金が無くても生活には困らない。それに麻雀はほぼ勝っていたし、金の使い道もゲーセンくらいだったので、そこまで困ることはなかった。

しかし、贅沢はできない。なので、天一に行きたくても我慢して王将に行っていたし、ゲーセンも最新ゲームの50円100円ではキツいので、30円でできる少しマイナーだったり古いゲームをするという節約はしていた。しかも、できるだけ30円で1日遊べるゲームを選んでしていた。

カプコムの1942

ひとつは「1942」で、これは元々は好きでやっていたのが、回数を重ねるごとにうまくなっていき、最後の方は30円で5時間とか6時間やっていたような記憶がある。バットの神様「川上哲治」じゃないが、敵機が止まってみえるくらい極めていた。

あとは他の店で見たことのない聞いたことのないメーカーの野球ゲームがあったのだが、そのゲームで友達と一緒に見つけた「コンピュータが打てない球」により、永遠に試合ができたのがあって、これも金の無い時はよくやっていた。ただ、そもそも大して面白くない上、強すぎになり全く面白くは無かった。

50円100円のゲーセンのほうでは、多少時期は違うかも知れないがその頃「ハイパーオリンピック」が全盛期で、私も血が出るくらい叩きに叩いた。この頃のゲーセンは熱かった。凄い熱気だった。ただ、直ぐに定規を使って連打する輩が跋扈しだし、私はそこから去っていった。

ナムコは「先進的」

同じコナミといえば「イーアルカンフー」はよくやった。これも30円ゲーセンのほうだったと思う。「ツインビー」は家のファミコンで腐るほどやった。ゴエモンのからくり道中もコナミだったっけ?元々はナムコ信者の私も、コナミのゲームはアーケードもファミコンでもよくやってた。

私のイメージだが、ざっとのところ、タイトーは「大御所」、ナムコは「先進的」、セガは「かっこいい」、そしてコナミは「コミカル」という感じを抱いていた。どこも好きだけどね。当時は繁華街の中心がゲーセンだった。それが今やプリクラとUFOキャッチャーに侵食され、ゲーセンからゲームは駆逐されてしまった。

それから3年ほどして私も働くようになったが、その頃に大流行したのが「テトリス」で、縦に伸びた筐体にはいつも人だかりで、それもほとんどがサラリーマンだった。大の大人が夢中になったゲームはこのテトリスが最後だったのかもしれない。いやあ、これも熱かった。

もちろん、私はそれほど上手くなかったので、あれほどの人だかり中でやる勇気はなく、家のパソコンでテトリスをやっていた。次回は家でやっていたパソコンゲームの話を書こう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました