あっという間に読み終えた「流星ワゴン」
先日、読んでいる途中だと書いた「流星ワゴン」をもう読み終えた。主に通勤電車で読んでいるのだが、2往復ちょいだから4~5時間で読んだことになるか。これが平均に比して速いのか遅いのか分からないが、とにかくワタシ的にはあっという間に読み終えた。
その前が吉村昭の「破獄」(未読了にて断念)だったから余計読みやすかったというのもあるかもしれない。そして、その読後感だが、少しホロッときて少し泣いたのと、自分も同じ年の父親と合って話してみたくなった。
「読みだして(これは最後に号泣しそう)と思ったらそうでもなかった。」というのを、どこかの誰かが書いた書評で見たのだが、私も全く同感だった。しかし、それが良かったと思う。
どうしてもタイムスリップ物は「未来を良いものに変える」というのがお決まりで、その流れからすると家族が幸せな頃に戻り、ひょっとすると生き変えったり、そこまで行かなくとも現世とあの世で連絡ができたりする流れになる。
「昭和の父親」
そこで号泣するわけだが、この話の世界では「運命は変えられない」ので、号泣するまでの奇跡は起こらない。しかし、現実は変えられなくても、その見方を変えることはできる。このメッセージが私には刺さった。そして、私も同じ年の父親と会ってみたくなった。
私の父はいわゆる「昭和の父親」で、授業参観には来ないし、家にもほとんどいない。そして外で何をやっていたかというと、私の父の場合は「女」だったようだ。要するに興味があるのは外の「女」だけであって、家族や子供には興味はなかったようだ。
それでも聞いてみたい。なぜ、子供の参観に来なかったのか。子供と遊んだことがほとんど無かったのは何故か。子供のことは好きだったのか。家族のことをどう思っていたのか。今の私と同じ56歳の父と話をしてみたい。
もっと遡れるなら、二十歳くらいの父と母が付き合っているところを見てみたい。どんな話をしているのか、どんな仕草をしているのか。あとは、自分が生まれた時の父と母を見てみたい。
読む時期によるのか
何かそう思わせる小説だった。そして想像してみるのだが何せ父とは話したこともあまり無いし、キャッチボールのひとつもしたことが無いように情報が少なく、何も思い浮かばない。でも間違っていてもいいから、一度考えてみようと思った。
最後にどこぞのだれかの書評を引用する。
「読みがいがないというか、徒労感だけが残った。私自身が人の親じゃないから共感できなかったのかもしれないけれど。」
これはきっとそうだと思う。自分が親になって初めて考えること、思うことのなんと多いことか。子は本当に自分にとって特別な存在である。もちろん、それは血が繋がっていようといまいと同じこと。ただ、親はそうでもない。特別な存在というよりは、切りたくても切れない特殊な存在だ。
まだ親になる前に読んだ人は、是非とも親になってから読んでほしい。


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