はじめて読んだ司馬作品
司馬遼太郎は私の大好きな作家で、長編小説はほぼ読んでいる。当時小学6年生だった私が最初に読んだのがこの「項羽と劉邦」だが、氏が中国の歴史ものを書いたのはこれだけなのではないか。それをどうして最初に読んだかというと記憶がおぼろげで確かではないのだが、東京に行く新幹線で読むためだったと思う。
何をしに東京に行ったのかも覚えてはいないのだが、時間待ちの新大阪の駅の売店でみつけて買ってもらったはず。ハードカバーの上下巻(上中下だったかも)の上巻を買ってもらい、続きは大阪に戻ってから買ってもらったのだろうが、そこまでは覚えていない。
ハードカバーだし、まあまあの金額だったのに買ってもらえたのは、読書感想文用の本だったから。それは何となく覚えている。何故なら読書感想文に書いた大筋を覚えているから。「劉邦が天下を取れたのは、自身の才能の限界を知っていたから。空虚であり大きな袋だった劉邦には、いくらでも臣下を入れることができたから。」なんて内容だった。
二人の英雄
これほど両極端な英雄が同じ時に現れ、その二人が天下を争ったというのは凄い。いや、同じ時に現れたというより、項羽というあまりに強い存在が真逆の男、劉邦を生みだしたのだろう。劉邦は項羽の逆をいくしかないと思い敢えてことごとく逆のことした、又は臣下がそうさせた。ということではないか。
彼らの正反対の性格を表す逸話は多い。始皇帝を見ていわく、項羽「あやつに取って代わってやる」に対し、劉邦「男ならああなりてえよなぁ」とか、詠んだ詩も、項羽「力は山を抜き気は世を蓋(おお)う」に対して、劉邦「いずくにか猛士を得て四方を守らせしめん」だ。
これだけでいかに項羽が「剛毅で傲慢」か、劉邦が「大らかで人頼み」かが分かる。そして、その実力はというと、おそらく項羽が1万の兵を持ったなら、劉邦が50万の兵で互角といったほどだろう。しかし、劉邦の将に将たる能力を使えば、ほぼ互角または劉邦が秀でるという仕組みである。
張良、蕭何、韓信、陳平などという名だたる名臣を率いる力がある劉邦、一方でたった一人の范増でさえ使えなかった項羽。全ての傲慢な人間に知らしめてほしい。ひと一人の力など、たいしたことないということを。
こども文学全集
私が最初に読んだのは小学6年の時だったが、小6の夏休みの読書感想文のお題に「項羽と劉邦」を選ぶのもどうかと思うが、これには理由がある。私の時代の子供たちは家にいても基本的にやることがない。いまならゲームや youtube(スマホ)があるが、私が小学生の頃はテレビくらいしかない。
そのテレビだって自分の部屋にはある訳ないし、その頃の居間のテレビのチャンネル権は親が持っていた。私が小学生だった1976年~1982年あたりは、どこの家もそんなもんだったはずだ。それで私が何をしていたかというと、読書だった。
その頃は、どこの家にも訪問販売で買った色々な図鑑とか、「こども文学全集」みたいなのが置いてあった。ウチにも赤い表紙に金文字や黒文字で題名の書かれた「子供のための文学」全集みたいのがあり、それがガリバー旅行記とかドン・キホーテとか、又は三国志や水滸伝を子供用に分かりやすく短くした小説になっていて、それを私はよく読んでいた。
それで読書というものに免疫があったのと、全集のなかでも三国志が特に好きになってそこから吉川三国志を読んでみたり、中国の歴史ものを他にも読んでみたいという気持ちもあり、「項羽と劉邦」が三国志の前の物語ということで読んでみようと思ったのだ。
評価と採点
小説の題材としては、あまりに強烈な素材だと思う。ここまで典型的な「強い英雄」と「弱い英雄」の戦いはなかなか無いし、出てくるキャラクターの個性の強いこと。ただ事実を書くだけで面白くなるのは間違いない。そこに司馬節が重なるわけだから、面白くないわけがない。
よく司馬史観などと言われるが、この「項羽と劉邦」に関しては既に知られた事実や、定まった評価をなぞっただけのものであり、新たな事実や捉え方というのは少ないのではないか。もちろん、創作の部分では司馬遼太郎っぽいところも多く、楽しくは読ませてもらえる。
同じ本でも、小さい頃に読むのと大人になってから読むのとで随分印象は変わるものだ。しかし、12歳から5年ごとくらいの間隔で読み直している(ここ20年ほどは読んでいない)この小説は、いつになっても最初の印象と変わりない。登場人物もエピソードも、あまりに極端でかつ定まっているからだろうか。
初めて読んだ司馬作品ということもあって印象に過ぎるため、かえって評価は難しいが、採点するなら90点というところか。もちろん、名作だとは思うが、他の司馬作品がもっといい点がつくためとしておこう。


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