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司馬遼太郎の「関ヶ原」を読了した

小説

全巻読んでの採点

前回、上中下巻のうち上巻・中巻を読み終え下巻を読みだした時点での感想を書いた。話が散漫だとか三成と家康という人物に魅力がないなどと書き、採点は70点とした。そして、今般、ついに下巻を読了した感想を述べる。その前に、先に採点をしておくと82点。もう少しコンパクトにまとめてあれば(特に下巻に至るまで)90点は超えていた。

これは私の好みもあるのだろうが、やはり戦闘シーンは迫力があり読んでいて(おおまかな結果を知っていても)ドキドキする。下巻は関ケ原の戦いの描写が中心なので、下巻からは非常に面白かった。とくに島左近の最期を書いたあたりと、島津隊の退却のくだりは素晴らしい。

細かい描写などは、かなり脚色してありそうな部分もあってリアリティという部分では歴史小説としてどうかと思うところもあるが、それこそが小説の小説たる所以である。特に司馬遼太郎の場合は膨大な資料と知識に基づいているからこそ脚色も活きるのである。

認識が変わった

この頃の武士が義ではなく利に生きていたというのは、すこし驚いた。武士のイメージは何を差し置いても「義」であり、主君への「忠」であると思っていた。しかし現実は「利」であって、いわゆる食わしてくれない主君は見限るというのは意外であった。

その後、徳川時代になっていわゆる武士のイメージである「忠義」が確立するということらしいが、「利」をもって天下を制した徳川家が、統制のため「忠義」という概念を浸透させていったというのも皮肉なものである。

また、家康のイメージはやはり「慎重」であって、それは間違いないのであるが「慎重かつ大胆」と思ってたのが実は「慎重かつ臆病」といえるほど武将として動きが遅すぎる。これでよく天下を取れたと思う。どこかで誰かが動いていれば家康は負けていただろう。ただ、そうさせなかったのが家康の手柄だろうか。

石田三成について

あまり良いイメージは持っていなかったが、私が最も好きになったのがこの石田三成という男である。名目上は毛利輝元が西軍の総大将とはなっているが、実質はこの三成が大将であったことは間違いない。僅か十九万石の身でよくここまでの戦力を集め、それも勝てそうなところまでいったのは余程能力が高かったのだろう。

斬首される間際になって最後に欲しいものはと聞かれ「家康の首」と言ったとか、のどの渇きを訴え柿をもらい、「柿は痰の毒になるからいらん」と言ったという話は戦慄さえ感じる。気難しく神経質な能吏だと思っていた(多分にその要素も強いが)が、これぞ武士なのではないだろうか。

関ヶ原の戦いに三成が勝った世界線も見てみたかったが、勝ったところで三成はもっと苦労したのではないかと思われる。おそらく日本は戦国時代の様相に戻ってしまい、混乱のなか同じように斃れてしまっていたと思う。それを思うと、この天下分け目の合戦を実現することができ、その中で倒れたことはむしろ本望ではなかったか。

最後に

あとがきに書いてあったのだが、三成の佳き人である「初芽」が架空の人物だったという。初芽そのものは架空であっても、それなりの人物はいたのかもしれないし、そうでないかもしれない。しかし正直、途中は(話の邪魔ではないか…)と思うところもあったが、ラストに黒田如水がその初芽を訪ねるところはジンときた。

こういうところが小説の、それも司馬遼太郎の良さ(艶のあるシーンは苦手のようだが)だと思う。天下取りへの夢が潰えた如水のやるせなさと、初芽のやるせない気持ち、お互いに(どうしようもない)ことが分かり合えるしみじみとしたシーンが、せつなくも救われた気持ちになった。

司馬遼太郎の他の作品では「最後の将軍」は薄めの1巻で少し忙しい感じがしたが、この「関ヶ原」の上中下巻は少し冗長だった気がする。そこを除けばかなりの良作である。

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